りんご界のニュージェネレーション、「麒麟児」に迫る


昨年9月に品種登録された「麒麟児」を右手にもつ松本教授
比較として左手は「ふじ」

 2024年9月、りんごの新品種「麒麟児(きりんじ)」が品種登録された。「麒麟児」は通常のりんごのサイズより一周り大きい特徴を持つ。誰にでも喜ばれそうなりんごはどのような過程を経て品種登録にこぎつけたのだろうか。また今後の「麒麟児」の動向はいかに。このりんごの品種登録に携わった静岡大学農学部の松本和浩教授に話を聞いた。

【静岡大学2年・木村航輔、梶原多恵】

「麒麟児」物語の始まり

 今からさかのぼること16年前の2009年頃、鳥取県八頭町(やずちょう)。梨を主に作っていた果樹園農家丸山茂さんは趣味で育てていたりんご果樹林で周りよりひときわ目立った大きなりんごを見つけた。この発見こそが「麒麟児」物語の始まりとなった。

 不思議に思った丸山さんは、後に「麒麟児」となる大きなりんごを調査してもらいたいと鳥取県内にある研究施設や大学などに足を運んだという。しかし、鳥取県ではあまりりんごの栽培が盛んではなかったため、関心を示さず取り合ってくれるところはなかった。だが、ようやく救いの手を差し伸べたのが昔から地域との共同的研究が盛んだった鳥取大学だった。

 そうして、りんごの生産と研究が盛んな青森の弘前大学に当時助教として勤めていた松本和浩さんに鳥取大学を通じて調査の依頼が舞い込み、松本さんも地域の困りごとに助け舟を出すような人柄だっため、調査を開始したという。松本さんはこのような果樹の新品種の発見過程は日本ならではと言う。「日本の果樹園農家はトラクターなど機械を使って作業する海外と違って果樹を一つ一つ丁寧に毎日観察するので」

 この依頼以降、丸山さんと松本さんは親子関係同等の親密なつながりとなり、丸山さんが青森まで出向いたり、松本さんが鳥取にある丸山さんの農園を見に行ったりすることも度々あったという。また、文通も欠かさず行っていた。この関係性からいかに丸山さんが松本さんを信頼して大きなりんごの調査を託したかがわかる。


松本教授宛てに届けられた丸山さんからの郵便の数々

“大きな”りんごへの松本教授の”大きな”思い

 だが、調査だけで終わらず、なぜ品種登録しようという話になったのだろうか。松本さんは語る。「この『麒麟児』は、特徴でいうと大きさ以外そんなに味とか色とか普通のりんごと変わらないんですよ。でも、あるお爺さんが頑張って営んでいた梨農園である日突然大きなりんごが生まれたっていうストーリー自体が面白いでしょ? それに加えてこのりんごを見つけた八頭町という地域が盛り上がってくれればという思いで、品種登録の研究を進めたました」

 当時丸山さんは80歳半ば。確かに丸山さんが大きなりんごを発見したという話が、日本の昔ばなし「桃太郎」の冒頭のおばあさんが川で大きな桃を拾ったという話が連想され、面白い。

 続けて松本さんはこう言った。「今、研究者は研究者、生産者は生産者と別々の世界で仕事をしています。生産者が面白い発見をしたら大学に持ってきてくれて、それにちゃんとレスポンスするといった環境がこの話をきっかけに作れればなと思っています」

 そのような松本さんの地域貢献をしたいという思いと、今までの生産者と研究者の関係を覆したいという願いで、丸山さんが発見した「大きなりんご」の品種登録のための研究や実験が始まった。

大きなりんごが「麒麟児」になるまで


高継ぎの仕組み

 まずはその大きいりんごが生えてきた枝を切って、別の大きな木の高い位置で切った断面にテープでつなげるといった「高継ぎ」を行い、その個体の複製を行った。品種登録をするにはそのような手順を踏みながらその特徴的な種ができる木を複数本用意しなければならない。

 また、この種の唯一性を証明するために同時期に比較用の違う種のりんごを栽培。それに加え、鳥取より涼しい気候である青森で育てた場合はどのような色合いになるかといった実験も行った。そのような調査を行った上で毎年安定的にその種を収穫できるかどうかを確認しやっと品種登録出願への道が開けたそうだ。

 そして出願後、農林水産省の厳しいチェックを受けた上で品種登録が確定する。しかし、この出願からチェックはすぐに行われず、同じようなチェックを待つ品種が多くあるので3〜4年はチェックを待たなければならないらしい。

研究の壁をぶち壊す人のつながり

 長い年月をかけた地道な努力によってやっと漕ぎつけた品種登録。苦悩した壁ももちろんあっただろう。そのような壁について松本さんに聞いてみた。

 「私が静岡大学に赴任してきた時が一番の不安の壁、苦悩の壁だったというか。研究を行っていた樹木を静岡に持っていくにも移動中に枝が折れるなど問題が生じる可能性などあるわけで。仮にそれらの問題が解決して、持っていけたとしても、青森と静岡では気候がだいぶ違うわけですから研究中の樹木には必ず影響が出てしまいます。それで、弘前大学にこの研究を続けてくれる後任の方がいなかったら今までの努力が水の泡になってしまうと考えました。ですが、後任が無事決まり、しかも後任の方はやる気に満ちていましたので、安心して研究をその方に引き継げました。また、弘前大学は農園を持っており、そこでその大きなりんごの研究を行っていたのですが、その研究をサポートしてくれていた技術職員さんたちとの関係も良好に築けていたため、研究が続行できたわけです」

はばたけ!「麒麟児」

 そうして松本さんが静岡大学に赴任した後も着々と共同研究が続き、ついに品種登録へと漕ぎついた。新品種は、「大きなりんご」が発見された鳥取県の東部地方で有名な重要無形民俗文化財に指定されている「麒麟獅子舞」からと、「大きなりんご」の研究へ関わった全ての人に将来大成してほしいという気持ち、そしてこれを食べたすべての人、特に若い人達がそれを愛し大成してほしいという思いから、「麒麟児」と名付けられた。

 松本さんにこれからの「麒麟児」について聞いてみると慎重な面持ちでこう答えた。

 「品種登録は無事終えることができたものの、これはスタートラインにすぎないのです。正式に販売するためには、まず生産するために苗木を売らなければならない。では、その苗木をどこに売るのか。そもそも苗木を売らず、特定の果樹園農家に育ててもらうというのもありえます。そのような課題を解決したら次は大量生産する時には必ず問題点が生じてくる。その問題に対しどう対処するのかといったことも考えなければならない」

 松本さんは緊張をほぐし笑顔を浮かべながらこう続けた。

 「この麒麟児が私たちの研究からどのように巣立っていくのか我が子のように楽しみながら、これからも課題解決に向けて取り組んでいきます」


「麒麟児」の今後について語る松本教授

見て、そして食べて!「麒麟児」を体験


右手で持っているのが「ふじ」、左手で持っているのが「麒麟児」、真ん中が記者
顔と比べることで「麒麟児」の大きさを体感できる

 取材のインタビューが終盤に差し掛かったところ、今回取材のために用意してくれた「麒麟児」と比較用の「ふじ」を試食させてくれるとのことになった。こうして見てみると、麒麟児はイメージ通りでかく、祝い事にもってこいだと思った。また、同行した取材班の一人がこう言った。

 「スイーツのトッピングとしても使えるのでは?」

 ナイスアイデアだと思う。食後のデザートに一際目立つりんごが入っていたら誰だって喜ぶのではないか。「麒麟児」にはいろいろな可能性を秘めていることが見てわかった。

 そして「ふじ」と「麒麟児」を食べ比べてみることに。特に味について違いはなかった。大きいからと言って味が薄いとか小さいから味が濃いとかそういうのはなかった。「麒麟児」は一つ一つの細胞が通常のリンゴと比べて大きいらしい。食感としてはシャキッというよりかはシナっとしており、優しい歯応えである。かむ力があまりない高齢者や幼児にも食べやすいと思う。

<取材を終えて>

 地域の生産者と大学の研究者がつながったことによって大きなりんごが「麒麟児」と名づけられる品種登録までのものとなった。松本さんが語っていたように、生産者と研究者との連携が整った環境が実現すれば、地域全体だけでなく日本全体の農産物市場が活気つくと実感した。試食して、「麒麟児」は全世代がおいしく食べられることができる品種だと思う。

 一般に認知され、市場で販売されるまでにはまだまだ課題は多いが、「大きなりんご」の発見から、登録品種までの物語をこの記事によって知ってもらい、「麒麟児」をよりおいしく味わってもらえるようになればうれしい。

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