国際交流を通じた益子の魅力発信

 栃木県益子町は陶器の産地として知られており、毎年春と秋に開かれる陶器市には毎日数万人の人が訪れる観光地となっている。陶器市では国内外の作家の作品を間近に見ることができ、昔ながらの古風なものから現代的なものまで多様な益子焼を見つけることができる。今回取材班は、益子陶芸美術館で益子国際工芸交流事業担当の篠崎誠さん(64)に話を聞いた。

【「益子焼」取材班】

益子町観光の課題

 宇都宮駅から車で約40分、陶器市が開催される時期には多くの観光客が訪れ盛り上がる益子町がある。だが、継続的な観光地としてはいくつか課題を抱えている。まず、益子町へのアクセスだ。我々取材班は昨年秋の陶器市に訪れた際、宇都宮から益子町まで自動車で移動したが、陶器市期間中(2024年11月2~5日)は益子町内の渋滞がひどく、駐車場に止めるまでとても時間がかかってしまった。JR・東武宇都宮駅から益子駅への路線バスも出ているが本数が少なく、また、陶器市開催時も増便がないため、多くの人がバス停に並んでしまっている。さらに、宿泊場所が少ないことが挙げられる。篠崎さんによると、手軽な宿泊施設は隣町である真岡市内または宇都宮市内まで行かなければならず、町内宿泊の不便さが表れている。

益子の陶器市の様子。大勢の客で町中がにぎわっていた。

益子陶芸美術館 国際工芸交流事業(アーティスト・イン・レジデンス)の取り組み

 益子焼は益子町の伝統的な陶器の一つであり、江戸時代末期に笠間(茨城県笠間市)で修行を積んだ大塚啓三郎が益子に窯を築いたことから始まった。益子町は首都圏に近く、流通にも適していたためますます発展していった。

 篠崎さんによると、益子町で良い陶器が作られているのは、地元で産出される良質な粘土や釉薬、昔ながらの製法が守られていることが理由に挙げられる。また、益子焼で有名なのは人間国宝に認定されている陶芸家の濱田庄司(1894~1978)の努力も含まれる。濱田は民芸運動を提唱し、益子焼の伝統を多くの人に広げた。そんな濱田が生前に暮らした、現在の「濱田庄司記念益子参考館」が益子陶芸美術館の近くにあり、登り窯など当時の雰囲気を感じることができる。

 国際工芸交流事業(アーティスト・イン・レジデンス)は、国内外で活動する作家に益子で滞在制作を行ってもらう。その中で益子町民や周辺地域において活動している作家との交流を深め、芸術の発展と底上げを目的に、2014年5月に開始され、これまで多くの作家がこのプログラムに参加した。プログラムは魅力的なもので、 制作費、渡航費、交通費、滞在費の一部が援助される。

 また、一番重要な制作環境も整っており、工房には益子焼を制作するのに必要なものが一通り整っている。 今年の秋に向けて募集した「益子国際交流事業公募プログラム2025」には、国内外26カ国・72人の陶芸作家から応募が集まり、今回選ばれたのはイタリアの作家だそうだ。 

国際工芸交流事業のきっかけと現在

 益子焼が益子町のみならず、国内外の陶芸作家とそのファンたちを魅了し続けている理由の一つとして、前述した濱田庄司の大きな功績がある。1920年、若き日の陶芸家濱田がイギリスの陶芸家バーナード・リーチと共にイギリス南西部の港町セント・アイブスへ窯を築き、そのような交流の歴史を背景に、2012年9月に益子町とセント・アイブスと友好都市を締結した。そして14年5月、国内外のアーティストと益子町のさらなる交流や、益子の陶芸(工芸)文化の共有を目指し、「益子国際工芸交流事業(Mashiko Museum Residency Program)」を開始した。24年の秋はセント・アイブスの作家が滞在制作を行った。約2カ月間の滞在を通して、益子焼とは何かを知り、これらの経験や感化されたこと、その過程ではぐくまれる友情を真に表現したものを作り上げようと取り組んでいる。今後はYouTubeで滞在記録を公開する予定だ。

交流事業をより充実した時間に

 篠崎さんは、この事業に参加した作家の作品制作だけでなく、滞在中のサポートを行っている。東京での美術館巡りに同行、日本人作家を訪問するためのアポイントをとったりするなど、作家にとってインスピレーションが湧きやすい環境づくりにも努めている。

 作家のメンタルや言語に関する問題の解消を図るなど多岐にわたるが、一筋縄ではいかない事も多々ある。過去には、作家が体調不良になった際に、英語を話すことのできる医師を必死に探したこともあるそうだ。このように、普段から作家のニーズを満たすために篠崎さんが努力するのは、自身の「下から目線」の姿勢を大切にしたいとの思いからである。

 作家は交流事業におけるお客様であり、自分が作家の立場であったらどうしてほしいかなど、常に相手の立場になって考える。そのために、自身の英語をいかして作家と密にコミュニケーションをとることを意識し、2カ月の滞在生活を円滑に送ることができるよう努めている。また、日本に来た作家に最高の制作環境を提供し、より良い作品を作ってもらうだけでなく、益子町そして日本で良い思い出を作ってもらいたいという思いが、手厚いサポートの陰にある。

これからの益子町に対する篠崎さんの思い

 篠崎さんは、現職の前に在籍していた大手旅行代理店で、インバウンドに関する企画に携わっており、そこで培った経験や知識を生かす。本事業と共に益子町に呼び込むことが、この地域の活性化に繋がる重要なポイントだという。加えて、日本について多くの知識を持っているインバウンドも少なくなく、かつてはゴールデンルートとまで呼ばれていた東京から箱根、京都などといった大人気観光地を避け、地方にインバウンドが流れる傾向もみられると語る。

 このチャンスをさらなる益子町の活性化につなげるためには、国内外を問わず情報を発信していくことが重要だと語る。SNS(ネット交流サービス)がメインで、益子陶芸美術館でもYoutubeやX、Facebookを使って、交流事業等の活動を随時発信している。ただ、発信者は美術館等の施設や団体だけでなく、益子町の市民にも担ってほしいと篠崎さんは語る。

 それを実現するために、交流事業の参加者である作家と町民との交流を活発に行うなどの工夫をしている。また、前述にあるような益子町観光の課題を乗り越え、英語表記の看板やボランティアガイド等を増やすなどして、インバウンドを受け入れる体制を整えていく必要がある。「外国人が多く日本に来ている現在、まさにそれが地域をいかすことの一番の近道になる」と、篠崎さんは語る。益子焼だけでない、益子町の魅力も発信するべく、日々の活動のひとつひとつと真剣に向き合っている。

益子美術館の篠崎さん。益子町のこれからについて熱く語った。

【略歴】

しのざき・まこと 1960年生まれ。中学・高校時代は親の仕事の都合によりイギリスで過ごす。大学卒業後、大手旅行代理店JTBに入社。退職後、益子町の国際工芸交流事業に携わり現在に至る。

取材班は、松下治憲、藤田元揮、大岡坦生、五十嵐彩夏、横松萌愛、細谷弥生(いずれも、宇都宮大学地域デザイン科学部「地域メディア演習」履修者)

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