祝!プロ野球指名 静岡大硬式野球部・安竹俊喜選手の「素直な」強さ

ドラフト会議当日。歓喜の指名に静岡大構内は、祝福の声であふれた
2024年10月24日、プロ野球ドラフト会議。この運命の日に、広島東洋カープから安竹俊喜選手の名前が呼ばれた。
昨年、静岡大学硬式野球部は2年連続3人目のプロ野球選手を輩出した。
23年に同球団から育成2順目で指名を受け、今年支配下登録を勝ち取り活躍する佐藤啓介選手に続く指名だ。
静岡大学で安竹選手はどんな道をあゆみ、指名を勝ち取ったのか。スキルだけではない安竹選手の「強さ」と、野球人生に迫った。
【静岡大学3年・萩原ひかり】
野球人生のスタートから高校生まで チームのために尽くした野球から学んだこと
安竹選手が野球を始めることを決意したのは小学生のとき。2009年のWBC(ワールドベースボールクラシック)の試合を見てからだ。
元々興味を持っていた野球のかっこよさを目の当たりにした安竹選手は、クラブチームに所属し、野球人生をあゆみ始める。
最初の分岐点は、高校受験だった。甲子園を目指すなら、県内随一の進学校かつ野球の名門、県立静岡高校。彼の中にあった認識とは裏腹に、静岡高校の野球推薦には手が届かない現実があった。それでも、甲子園を目指して静岡高校で野球がしたい。その一心で、中学野球を引退してからは全力で勉強に打ち込んだ。
安竹選手「志望調査票をどの高校に出すか、最後まで迷っていました。当時の勢いもあり、やっぱり静岡高校で野球がしたいと思い出願しました」。
そして、県内最難関の静岡高校に見事一般入試で合格。甲子園の舞台を目指して野球部に入部した。
安竹選手「下級生の頃は、(雑務が多く)あまり自分に時間を割けませんでした。自分のことというよりかは、とにかくチームのためにできることを探しました」。
もどかしさを感じつつも、目の前のできることに打ちこみ続けた。
上級生になってからは徐々に練習量を確保できるようになった。地道なその姿が評価され、3年生の夏の大会にはブルペンキャッチャーとしてベンチ入り。3年間の出場は公式戦の1試合にとどまったが、チームのために貢献し続けた高校生活だった。
このあと、地元静岡大学を目指して1年間浪人生時代を過ごすことになる。
野球を離れ、勉強漬けの日々は精神的につらかったという。それでも週1回の父とのキャッチボールを気分転換にしながら、晴れて静岡大学に合格。迷わず野球部に入部した。
安竹選手「新歓(新入生歓迎)の時期には特にいろんな部活を見たりはしませんでした。
地元の国立大学で、野球部も成績を残している。野球をしに静岡大学に入ったので」
高校生時代は、自分より“チーム”に貢献した安竹選手。静岡大学では主将も務め、コンスタントに試合に出ていた。
記者「高校とはまた環境が違うと思います。試合に出るのはやはり楽しいですか?」
安竹選手「(出場メンバーとそうでないメンバー)それぞれの責任があり、それぞれの苦しみがあります。高校生時代、確かに、試合に出ているメンバーに対していいなあという感情や悔しさもあると思いました。でも、当時の監督に『試合に出る選手も、出ない選手も、それぞれの苦しみがある』という言葉をいただいた時にハッとしたんです。試合に出るのも、楽しいだけじゃない。だから、楽しいというよりかは、責任を持って試合に挑もうという気持ちが大きいです」
高校生時代に試合に出られなかった感情、監督にもらった言葉が、静岡大学での安竹選手をつくっていた。そんな安竹選手が大学野球生活で最も印象に残っていることだというのは2年生秋からのけが。高校生時代同様、ベンチからチームを支えた。
安竹選手「高校生時代に試合に出られなかったからこそ、やはり大学では試合に出てチームに貢献したいと思いました」

捕手として活躍する安竹選手(写真右)
自身の可能性を感じた「2022年全日本大学野球選手権大会」
試合に出てチームに貢献し自分の最高到達点を目指す中で、安竹選手がプロを意識しだす転機が訪れた。22年の全日本大学野球選手権大会だ。
静岡大学は東海地区で見事優勝を飾り、全国大会に出場。安竹選手も2年生ながらに正捕手として活躍した。
安竹選手「大会で活躍する強豪校の同年代のキャッチャーを直接見て、『まだ自分も(大きな舞台で)活躍できるかも』と思いました」。
しかし、そのときはまだプロになると決心したわけではないという。さまざまな将来を考えながらも、自分の最大限を目指していった。
そんな安竹選手がプロ志望届を出すことを決めたのは、ドラフト会議が行われる1カ月前、24年の9月だ。
安竹選手「プロ志望届を出すかどうか迷っていたところ、『出してみろ』という監督の言葉に後押しされました」。
とにかく前向きな監督だったという。大学生時代の安竹選手を磨いたのは、静岡大学の人と環境だ。
「自立した」静岡大学の人と環境
静大硬式野球部は「自由が多い」と安竹選手。
安竹選手「大学野球は高校までと違い比較的自由度が高いと思いますが、静大はより高いと思います」。
選手に委ねてくれる監督のもと、野球に全力になる期間もあれば、勉強に全力になる期間もある。
自由度が高いぶん、いろんな思いを持って野球に取り組む選手が集まるように思えるが、お互いがお互いを理解して、尊重し勝ちを目指すからこそ、強いチームが作れるのではないだろうか。
安竹選手「静大で良かったと思うのは、チームメイトに恵まれたことです。みんな自立していると思います」
与えられた「静岡大学」という環境をフルに活用し、互いを理解しあえる、賢い選手が集まって高みを目指すのが静岡大学硬式野球部なのだ。
静岡大学硬式野球部は、静岡県内で常に上位の戦績を残す。近年では14、22年と東海地区を制し全日本大学野球選手権大会(全国大会)に出場した県内屈指の強豪チームである。ここで驚きなのが、全国のプロ野球選手を輩出するようなスポーツ推薦枠を用意している強豪大学が存在するのに対し、静岡大学野球部に推薦入学制度はない。良い選手が自主的に集まってくるというのだ。
しかし、国立大学ということもあり、練習環境は十分に満足できるものではない。遠征費も選手自らアルバイトをして賄う。安竹選手も回転すし店でアルバイトしていたそうだ。
安竹選手「アルバイト代は、ほぼ野球をするために使いました」
雨天時には、室内練習場がない中でも、コンクリート上でティーバッティング。部の道具を調達・管理・整備するのもすべて選手自身なのである。
23年には、部員自らがクラウドファンディングを実施した。約1カ月の期間で、寄付総額は目標の150万円を大きく超える345万8500円となった。どんな逆境も超えて“今できる最大限に挑む”選手が集まるのが、静岡大学だ。
大学に何かお願いしたいことはありますかと聞くと、
安竹選手「(野球場付近は駐車禁止のため)駐車場を作ってほしいです。野球道具を持って山を登るのは大変なので……」
国内の大学で標高差が日本一とも噂される静大。ぜひ野球場近くの広いコンクリートを活用して駐車場を作っていただきたい。

静岡大学グラウンドでの取材。安竹選手「笑うの慣れていないんです……」と言いつつも、いい笑顔!
どんな壁があっても「自分がどこまでできるか知りたい」。 探究心の奥にある“日本一”へのひそかな思い
安竹選手「プロを夢見ていたのは小学生までで、中学生の頃には現実主義でした」。
小さな頃から「プロ野球選手になりたい」という夢を追いかけていたわけではない。高校生時代には、プロに指名される同世代を見て“自分より上手い選手が山ほどいる”と現実を突きつけられた。大学生時代にプロとして活躍する可能性を見つけていたものの“さまざまな将来”を考えていた安竹選手。何が“彼の野球の最大限”へとつき動かし続けていたのだろうか。
自分の最大限を目指して野球に取り組む中で、自分よりレベルの高い選手を見てきて、現実を見て。やめたいと思うことはなかったのだろうか。
安竹選手「(やめたいと思ったことは)正直あります。『何言ってるんだ』って思われるのであまり話していないんですが……。中学生のとき、キャッチャーをやる中『肩の強さと、キャッチングスキルで日本一になりたい』と思ったんです。プロを目指していなくても、壁にあたっても、『自分が(野球で)どこまでできるか知りたい』と思って野球を続けてこられたのは心のどこかに“日本一になりたい”という思いがあったからかもしれません」。
「自分の野球のスキルがどこまでいけるか知りたい」という探究心が、安竹選手を静岡大学硬式野球部へ、そしてプロ野球選手への道を導いたのだ。
そして“日本一になりたい”という思いが、その探究心の根底を支えていたのかもしれない。
安竹選手「広島東洋カープの正捕手を目指して、これからも肩の強さと、キャッチングスキルを磨いていきます」。
安竹選手の日本一への探究心は、プロ野球の世界でまだまだ燃えることだろう。
「自分は努力家ではない」 安竹選手の“素直になる”強さ
安竹選手「今できる最大限をやり切りたいです。40歳からでも挑戦できる職業はあると思います。一番体力がある今は、自分の野球の限界を試したいです」。
強い精神力と向上心を持つ学生がこの静岡大学にいることをぜひ知ってほしい。
自分自身をコントロールして、最高到達点を追い求めている安竹選手。努力家ですねと声をかけると、安竹選手はこう答えた。
安竹選手「ありがとうございます。よくそう言ってもらえるんですが、自分では努力家だと思ったことはありません。決めたタスクをこなせないこともありますし。まだまだできると思っています」。
強靭(じん)なストイックさがうかがえるこの言葉から、安竹選手の人柄が伝わった。
強い気持ちがあれば、どこまでも可能性を広げられる。それを安竹選手はこれからも示してくれるだろう。「自分は努力家じゃない」。彼の言葉から、自分の気持ちに真摯(し)に、そして素直になることの強さを学んだ。